死ぬタイミング
『無人の森で木が倒れたら音はするのか』
答えは、「しない」だそうだ(あくまでも哲学的な話)
音波は知覚されてはじめて音になる。だから、森で発せられた音波を知覚する人がいないのであれば音はしないのだ。つまり音とは、存在ではなくただの認識ということになる。
私たちも音波みたいなもので、誰かの中のただの認識に過ぎないのかもしれない。
私を私たらしめるのは周りの誰かであって、私ではない。「自分自身」という曖昧で形のない波は、誰かに知覚されないと存在することができないのだ。
だからこそ、なかったことにされるって、つらい。いま私は、私と私を取り巻く少しの集団の中では生きていることになっている。
でも、誰かの中ではもうとっくに死んでいるのかもしれない。