自分探しをしているその自分は誰なんだ
確固たる個性を確立して、独立して生きなければならないと思っていた。
ひとは個性的なほど良いと思っていたし、ハリガネムシに寄生されているカマキリは可哀想だと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
自分とか個性とか、そういうのってそもそもあるようでないものなのだ。
脊椎動物が誕生して5億年の間、人間の身体にはたくさんのウイルスが入りこみ、そのまま住み着いてウイルス由来の遺伝子というのが出来たらしい。
つまり私たち、1個の生命体にみえて、たくさんのヒトではない生き物と共生しているのだ。
こんな仮説を立てている人がいた。
『チョウチョは、かつてひらひら飛ぶ成虫としてのチョウチョと、葉っぱをかじってモゾモゾ動く幼虫としてのイモムシ、全く別の生き物だったのが一緒になって、2つの生命体ひっくるめた「チョウチョ」に進化したのかもしれない。』
もしこんな話があり得るのなら、カマキリとハリガネムシだってこのパターンだと考えてもおかしくない。可哀想もクソもないじゃないか。
人なのか昆虫なのか、生物なのか哲学なのか、一体なんの話なのやらという感じで私も頭の中がこんがらがってきたところだ。でもとにかく、そんなもんなんだ、個性なんて。
ブレブレどころか、色んな私がいていいんだ。だってそもそも、私の中には私じゃない生命体が住んでいるんだし。「個性」や「自分」が、その性質や成分が変わることなく固定して存在すべきものだと思っているから、ブレブレな自分を否定しちゃうのだ。
ブレててもいいじゃないか。
自分探しなんてやめちまおう。