死んでも消えない
当たり前のことでも、よく考えてみると改めて驚かされるということがある。
そんな感じで、この間わたしは
「あらゆるものは全て原子で構成されている」
という事実に改めてびっくりしてしまった。
目の前に置かれたコップも着ている服も、この身体すら、原子の集まりにすぎないのだ。
もっと衝撃的なのは、原子は力や熱を加えても決して消えることのない性質を持っているということ。以前何かの本でちらっと読んだ哲学者の言葉をそのまま借りると、
『ものを分割していくと、ついにはもうそれ以上割ることができないという段階に達するが、それが原子である。物は原子が集まったものである。無からは何も生じないし、すべての存在するものは消滅しない。消滅したように見えるのは、原子の運動によって物が別の物に変化したのである。』
ということらしい。(これは科学的な提唱というよりも割と観念的な直感だったらしいけど、突き詰めて考えるのはやめておきたい。めんどくさいから。)
つまり、私が死に、火葬場で燃やされたとしても、個体を形成していた原子が熱によって散らばるだけで、物理的に消滅しているわけではないということだ。
そうやって考えると、人も一つの「モノ」なんだな、と思う。
ただ人間の場合、死んでるけど消えてない人、生きてるのに消し去られた人、わりと居るからちょっとややこしいけれど。
とりあえず、前に書いた哲学者の考え方で行けば、実際お墓に入るのは骨だけで、その他ほとんどはバラバラになってまた新しい「なにか」になるまで空間をフワフワ漂ってるというわけだ。そうやってわたし達は、くっついたり離れたりしながらリサイクルされているのだ。
私を構成している原子は、私になる前、何の一部だったんだろう。
そして、いずれ私が死ぬ時、放たれた原子はどこにいくんだろう。
「死」は確かに寂しいけど、べつに恐れるものではないような気もしてくる。