ツルです。

殺し得ること

殺人事件のニュースを見ると、大概の人が「恐ろしい」「同じ人間だとは思えない」と言う。
私も言ったことがあるし、きっとあなたも眉をしかめて犯人を責めたことがあるだろう。
しかし、私たちは平気な顔して犯人を責めていていいのだろうか。

 

“誰の心の中にもひとりの殺人者が潜んでいて、呼び覚まされる条件が整うときをじっと待っているのかもしれない”/ユリゴコロ

 

テレビの中の殺人者と、それをリビングでみているわたし。違いは「殺すに至るまでの条件が整ったかそうでないか」ただそれだけなのだとしたら、人ごとではない。こんな風に考えるのはとても恐ろしい。けれど、大事なことの気がする。
もし、悪を批判し責めることに落ち着きそこで思考を止めてしまったなら、きっとまた誰かが殺されるだろう。

それはもしかしたら、わたしの手によって。

言い過ぎだろうか?

しかし、自分が正しいと思い込み微塵も疑わず行動する人間すべてに、人殺しさえ起こしかねない危うさがあると思う。
自分の中に目覚め得る殺人犯に目を向けたことのないひとに、殺し合いのない世界を望む資格なんてないのだ。